| 1935年 |
東京にて生まれる。 |
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専修大学の時、友人よりバンジョーを初めて目にし、バンジョー人生がスタートする。 |
| 日本のバンジョーのトッププレーヤー角田
孝さんに師事。その後、独特のスタイルを模索始める。 |
| 東京・銀座の「ガス灯」にてカントリー&ウェンスタン・バンドでリード・バンジョー・プレーヤーおよびソリストとしてプレー。 |
| 1964年 |
カリフォルニアのレストラン・オーナーは彼の才能に感激し、ベイエリアにあるレストランで演奏の契約する。 |
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太平洋を渡って10年以上もの間プレーしました。
公共的なものから個人的なものまで様々なイベントに出演し、その土地の演奏家に接し、テクニックや曲目を増やす。
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| 活躍は演奏にとどまらず、200〜300人の生徒に彼のテクニックを教える。 |
| 1965年 |
クパティーノ・バンジョー・バンド(1963年、地元で人気の音楽家チャック・レイによりスタート)に参加。
参加してすぐに、レイが多忙となったため、リーダーシップ的役割を引き継ぐ。 |
| 1967年 |
北カリフォルニア・ニューオリンズ・ジャズ・クラブより、年間最優秀バンジョープレーヤーに指名される。 |
| 1972年 |
地元のチャリティーやバンジョー・バンドの活動資金捻出のため、年1回のバンジョー・ジュビリー(記念祭)を開始し、彼の音楽的才能を注ぐことを決意。
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| 1974年 |
クパティーノ・バンジョー・バンドは急速に拡大し、バンド名をペニンスラ・バンジョー・バンドに変更。 |
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ジュビリーは、毎年、ベイエリアやサクラメントから、バンジョー・バンドやグループ、聴衆など600人が来場。
活動収入は、バレーの医院、スタンフォードのルシール・パッカード小児病院やロナルド・マクドナルド・ハウスといった多くの地元チャリティーに寄付され、過去30年間の合計は160,000ドルにも達する。 |
| 2003年 |
オクラホマ州ガスリーにある4弦バンジョー記念館において、永きに亘る活動の功績を称えられ、教育部門で殿堂入りの表彰を受ける。 |
| 現在 |
ベイエリアの至る所で多くの公的および私的なイベントでの演奏。 |
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毎週火曜日午後8時から9時、サンノゼのメリディアン通り1535にあるストロー・ハット・ピザにて指導。 |